コロナ禍で移住者が増えている?!
特に、都会ではリモートワークの定着や生活スタイルの変化によって移住を考える人が多くなっています。
[“脱東京” 相談件数(6月)]
2019年 電話:345件、面談:992件
2020年 電話:643件、面談:1024件
※NPO法人ふるさと回帰支援センターより
新型コロナ感染拡大の影響もあって、さらに移住者の相談数は増えている様子。
近年、「移住」というキーワードは、ニュースや新聞だけでなく、雑誌の特集でも目にする機会が多くなったように感じます。
では、どんな地域を求めて、移住先を考えるのでしょうか?
人それぞれ考え方はありますが、程よい自然があり、仕事や子育てがしやすい場所が選ばれているようです。
佐賀県も例外ではありません。
2018年の全国移住者希望地ランキングでは、第10位に!さらに、2019年は第8位と躍進し、人気傾向にあります。(NPO法人ふるさと回帰支援センターまとめ[東京])
とはいえ、
子育てしやすいのかな?
仕事はあるの?
佐賀県の実際の暮らしってどんな感じ?
どんな人がいるの?
などなど……移住を考えている人にとって、色々不安に思うことも。
今回は、佐賀県で定期的に行われている移住交流イベント『MEET UP!SAGA』で、体験したことを元に、佐賀暮らしについて紹介します。
実際に佐賀県に移住した先輩。今回は、佐賀でライターとして活動しているお二人の話を聞きました。
『MEET UP!SAGA』って?
会場となったのは、佐賀県唐津市の古民家カフェ「C A L A L I(カラリ)」。
佐賀県の北西部に位置する唐津市は、博多まで1時間半ほどでアクセスでき、都会の便利さと昔ながらの城下町の雰囲気、そして、山と海に面した自然豊かな立地が魅力の場所です。
令和2年より、移住コンシェルジュを設置。唐津に興味を持った方、移住を考えている方へのサポートに力を入れています。
(唐津市 支援情報 https://www.city.karatsu.lg.jp/iju-teiju/kurashi/teju/uji/index.html)
『MEET UP!SAGA』とは、佐賀県とNPO法人灯す屋が主催する移住交流イベント。
佐賀に移住を検討している人、移住してきた人、佐賀にずっと暮らしている人たちを繋げることを目的としたイベントで、今回でなんと7回目の開催です。
今まで、地元の方たちや移住者の方たちが交流を行うことがメインの『MEET UP!SAGA』でしたが9月12日のイベントは、オンライン開催となりました。
イベントの模様をYouTubeライブで配信し、コメント等で参加者との交流を行います。
[左:灯す屋代表 佐々木 右:佐賀県庁移住支援室 副島氏]
主催者の二人は、100年前から続く鹿島市の漬物蔵で漬物体験したり、神埼市の高取山公園で猪のジビエ料理を堪能したりと、今までのイベントの模様や参加者の体験談などを振り返ります。
イベントに参加してもらうことで、移住者と移住希望者同士を繋いだり、地元の人たちと働きたい人をマッチングしたりしてきた『MEET UP!SAGA』。
移住希望者が先輩移住者と仲良くなって情報を収集できるようになったり、それぞれが抱えている町での課題を共有したり解決したりできるようになることを目指し、今まで行ってきました。
佐賀ライターの暮らし方
今回のゲストは、3年前に東京から移住されたライターのお二人。
ライターを行う傍ら、それぞれ移住した先で地域に携わる仕事をされています。
【ゲストプロフィール】
いわたてただすけ さん(写真 右)
フリーランスライター歴15年。2017年に、東京都から佐賀県伊万里市に移住し、広告制作会社nicoを設立。3年目でようやく東京時代の収入を超える。発注比率は、東京3:佐賀6:その他1。ライター業の他、移住支援、企業誘致、学校改革など、多方面での地域おこし活動に参加。セミナー講師などにも駆り出されるようになり、巣ごもり生活だった東京時代と働き方、生き方が劇的に変わった話を、都会に住む人に聞いてほしい42歳。
池田愛子さん(写真 左)
編集者・ライターであり唐津ゲストハウス少女まんが館主。佐賀県唐津市出身。NGOピースボートの世界一周の船旅に参加。出版社勤務を経てフリーランスに。2017年7月に唐津市にUターンし、2018年1月、ゲストハウスを運営しつつ、フリーのライターとしても活動中。
いわさんの佐賀に移住してよかったこと
東京での生活だけだったといういわさんは、一番上の娘さんが小学校に上がるタイミングで、広い家への引越しを検討し、移住を考えはじめたそう。最初は、長野や山梨、千葉など都心から電車で行ける距離のところで探していましたが、縁が全くないところに行って、そこで地域に馴染むのはすごく大変なことだろうと感じ、奥様の実家がある佐賀県伊万里市に移住を決められました。
テーマは、フリーランスで働いている人が、何を求めて移住してきたのか?
移住して何がよかったのか?について。
【佐賀に引っ越してよかったことベスト4】
1.窓からの景色がいい
2.会議室の景色もいい
3.すぐに注目していただける
4.したことない仕事が始まる
1.“窓からの景色がいい”というのは、移住して建てた、いわさんの自宅兼オフィスから眺める景色のこと。
家の隣は公園で、春には桜の花が咲き、逆側には伊万里富士と呼ばれる大きな山が見える環境です。
始めは、東京で家をもつこと考えたいわさん。しかし、窓を開けても隣の家、反対側も家という状況で、何千万も費やして得る環境はこれでいいのだろうかと疑問に感じたそうです。
「実際に、今住んでいる環境は、自然に囲まれているのですが、更に家の隣に150坪の山林があります。それを、なんとタダでくれると持ち主から言われる。竹の子取り放題だよ!(笑)ってね」
伊万里と同じような環境を東京で実現させようと思ったら、10倍以上の金額がかかるなんて!田舎と都会の差に会場の人も驚いていました。
「家族と過ごす時も仕事をする時も、ちょっと覗けば素敵な景色が広がっている家に、フリーランスでも住めるというのが移住して一つ目のよかったことです」
2.“会議室の景色もいい”この言葉を聞いて、田舎はどの部屋でも眺めがいいから?そう考えられた方は、都会人かも?
いわさんが、伊万里に移住してきて、初めて仲良くなったカメラマンと「今度、打ち合わせしよう!」となった際、相手が指定してきたが会議場所が浜辺だったんだとか!
そう、いい景色というのは綺麗な海のこと。
都会ではコスト削減のため1時間とか時間を決めて会議室をとり、そこできっちり結論を出さないといけない。けれど、伊万里では景色のいいところで2時間も3時間も話ができる。それが日常ということに、クリエイティビティを感じたそうです。
海の他にも、伝統的な焼き物を作っている場所の側に小川が流れており、家から10分程度。こんなリモートワークもいいな。とクリエイターならではの視点で語られる姿が印象的でした。
3.“すぐに注目していただける”
以前いわさんが移住する前に、佐賀県のことを知るために立ち上げたTwitter「すごいよ佐賀県」。佐賀県の日本初、日本一を奥さんのイラストと共に紹介するアカウントが人気を呼び、地元新聞に取り上げられます。移住して一ヶ月後に書いた、「移住してよかった10のこと」というブログは、なんと6878いいね!を獲得しました。
「地域に移住したぐらいでこんなにいいね!がつくことは、なかなかないと思うけれど、それくらい移住してくる人に対して地域の人が興味を持ってくださるというのが面白いと思いました。
同じようなことを東京でやったら『東京に移住してよかったこと』とか『東京のいいところとか上げてみました』と言ってもみんなわかっているし、誰の目にも触れないようなものだったと思います。
でも、そんなことをやったことがない場所(佐賀)でやるというのは、すごくチャンスがあると感じましたね」
広告業界は、都会に95%くらいあると言われており、東京を離れたら仕事がなくなるのではないかと不安はあったといういわさん。しかし、今までとは違う価値観で仕事を作ることはできるのではないか?と感じたのは、この時だったそうです。
4.“したことない仕事が始まる”
つまり、ライター以外の仕事をするようになったということ。
どういうことかというと、現在、いわさんは「移住支援」「教育」「就職・転職に関わること」「地域産品を産み出したり売ったりすること」など、多くの企画に携わり地域の人々と協力しながら仕事をされています。
「『まちの大学いまり』と言って、大人になっても勉強しようということで市民大学のような活動を伊万里市で行っています。
更に、地域に唯一の普通科高校「伊万里高校」と協力して、高校生と一緒に地方創生しようと、『#キセキ部』というサークルを作って高校生と一緒に企画をしたりもしています。それぞれが、別のようにも感じますが、『まちの大学いまり』と『#キセキ部』で地域のクリスマスイベント企画を一緒に行ったりもしましたよ。
佐賀にきて、ライティングの仕事は減りましたが、地域にきたら違う仕事が始まる。というのが、クリエイティブをやっている人からしたら面白いと思えるところだと感じます」
部屋でライティングしている時代には、考えもつかなかったことを企画し、自分でやってしまう。そうすることで働き方だけでなく考え方も変わったといわさんはいいます。
「今までライターという単体の仕事でしかやっていなかったのが、幅広く色々なことに挑戦できているのが、一番移住してよかったことであり面白いことです」
池田さんの移住をして感じたこと
唐津市出身の池田さんはUターン移住。
大学で京都にいき、就職氷河期の中、一度佐賀に戻るもN G O主催のピースボートに乗り、世界を三ヶ月周ります。下船後、昔からやりたかった出版の世界に飛び込み東京へ。会社が潰れたり、次に入った出版社ではリストラになったりとあらゆる難をくぐって来られましたが、それがきっかけでフリーライターに。
東京での生活は、毎日満員電車。道でちょっとぶつかっただけで舌打ちされるような環境下に辛さを感じ、ずっと住める場所ではないと感じていた池田さん。
東日本大震災もきっかけとなり、ライターの他にやりたかったゲストハウスを開くため、唐津に移住されました。
ライターで佐賀県内や福岡県など様々な場所に取材に行く傍、ゲストハウスも始めたこともあり、移住してから自分の中での変化を感じたといいます。
「佐賀県は、『ユーリ!!!on ICE』『ゾンビランドサガ』など、アニメの舞台にもなっているので、聖地巡礼のお客さんも多く利用されますが、リピートで何度もきてくださいます。そういうお客さんから自分が住んでいる地域(佐賀)の良さを改めて教えてもらえるというのが、すごくありがたかったですし、外から来る人がこんなに佐賀を愛してくれるんだというのが分かったのが、今までと大きく変わったところですね」
[唐津ゲストハウス少女まんが館Saga]
長く一人暮らしをしていたのが、今は実家に帰ってきて、家族と暮らすことの良さと面倒さをほどよく感じながら唐津生活を楽しんでいる池田さん。
新型コロナの感染が拡大する前は、泊まりにきたお客さんに唐津を案内するおもてなしの一つとして一緒に飲みに行くこともされていました。
行きつけのお店の店主の話を笑顔でされるのが印象的でしたが、地域の居酒屋や飲食店など、地域を作っている人々とコミュニケーションをとり、顔の見える関係を作っていたことが、お客さんの満足度につながっているのかもしれません。
「13年経って地元に戻ってきてみると、移住の人も増えているし、町も活気付いていると感じます。鏡地区や浜玉地区は世帯数も増えてきていますし、若い世代が増えてきているということもあって、今回の会場のC A L A L Iさんのようにかっこいいカフェができていたり、美味しいご飯屋さんがあったり。佐賀全体でも、そういう動きって出てきているような気がします。若い世代が頑張っているなというイメージ」
池田さんが話すと、いわさんもすかさず言います。
「39歳で移住してきて、きっと『若い奴きたぞ!』と思われるかと思ったら、30代で頑張っている人が割といたので、アレっ?て拍子抜けしました。
むしろ飲み会行ったら最年長とか……
そこは当てが外れましたね。でも、うれしい誤算です。(笑)
若い世代が頑張ろうとしている時期に、移住できて本当にラッキーでした」
主催者側も含め共通項として感じている若者の力は、移住を後押しする一つの理由となり得るのかもしれません。
最後に、お二人にとって今後やりたいことを聞くと、こんな答えが返ってきました。
池田さん:「きちんと続けていくこと、この場に居続けることをしたいです」
いわさん:「自分が住むと決めた場所、伊万里。子どもたちがあの時『パパが選んでくれて本当によかったね』と思ってもらえるような町にしたいですね。佐賀を『日本で一番クールな県だね』と言われるようになったらいいな」
どうやらお二人とも、それぞれの地域にこれからもずっと住み続けたいと感じている様子。東京で抱いた「ここにずっと住めない」という感覚は、移住してからないようです。移住を考える人にとって、実際に住んでいる人の話は貴重。
二人の笑顔で話す姿を見ると、より一層、佐賀暮らしの心地良さがわかるはず。
今回、行ったイベントの詳細はYouTubeより見ることができるので、気になる方はぜひ、チェックしてみてください。
【動画】